社内活動
一流人
座談会ってどんな会?
日々の勉強や仕事に熱中していると自分の世界が狭くなるときがあります。
自分が知っている世界で発想するよりも、広い世界を知って発想する方が面白いアイディアがわきますよね!
そこで各界で活躍されている方たちを囲んでお話を聞かせていただく機会を設けることにしました。
参加資格は学生の方々およびこれからサンメディアの一員になりたいと思ってくださる方々です。
弊社スタッフと一緒に世界を広げてみませんか?
第一回
講師:バーテンダー
2005年
カクテルコンペティション優勝
カクテルコンペティション優勝
バーテンダーになろうと思ったきっかけは、専門学校の授業の一環で受けたホテルでの実習の際に バーテンダーの仕事を見て憧れをもったとのこと。
バーテンダーとしての技術を磨くために、休みの日に日本各地のバーを巡り、自己投資を行っていたそうです。
バーに立つ間のお客様に見える仕事以外にも裏方の仕事があるが全てがバーテンダーとして成長していく糧になったとのことです。また、お客様から学ぶことも多くあったそうです。
仕事に対するスタンスが確立されていて、迷いのなさに感銘を受けました。
カクテルコンペティションでの話では、 オリジナルカクテルを考え、作る時間は業務時間後であるため、体力的、精神的にプレッシャーだったとのこと。
それを乗り越えての優勝に精神的強さの大事さを学びました。
また、バーテンダーが会員の協会や、お客様も会員になれる協会など様々な団体に所属し、
協会認定の資格を取得するなど、日々研鑽を積んでいるとのことでした。
私たちも、普段お話を聞けない他業種の方の話を聞き、
業種や仕事内容は違っても、「お客様に喜ばれる仕事をする」という共通する部分があり、
学ぶことの多かった、第1回の座談会でした。
第二回
講師:ジャズピアノ&ヴォーカリスト
広沢 純子さん
ジャズピアノ&ヴォーカリストになろうと思ったのは、特にきっかけはなく、
幼少時代からピアノに触れ、大学在学中からジャズに興味を持ち、ジャズ理論などを学ばれたそうです。
現在は、主に都内の有名ホテルラウンジなどに出演しています。
お客様の前での演奏は、広沢さんにとって、自分をさらけ出せる時だそうです。
リクエストを受けた時は、「ギャフン!」と言われるような演奏を心掛けているそうです。
その為にも、毎日の練習は怠らないようにしなくてはならないとのことです。
作曲活動については、今現在、自分の曲というものは無く、 自分の曲を作り、自分を表現してみたいそうです。
また、演奏活動を行っていて、行き詰った時は、思いがけない閃きがあるかもしれないと全く違うことをしたり、 関係の無いことなどをして、気分転換をするそうです。
今回の座談会を通して、1つのことを続け、軸をぶらさずにいれば
何か見えてくるものがあるということを学びました。
そして、日々の積み重ねにより、事を成し遂げた時などに多くの達成感を得ることが出来るのだと感じました。
第三回
講師:女優
歌納 有里さん
【主な出演作品】
・イッツフォーリーズ作品
『ルドルフとイッパイアッテナ』ルドルフ役
『おれたちは天使じゃない』光子役
『野菊の墓』民子役
『天切り松』静子・イサオ母役・・・他多数
・外部作品
『レ・ミゼラブル』ジベロット役
女優になりたいと思ったきっかけは、
小学生の時演劇クラブへ入り、「舞台の上で表現すること」に魅せられたからです。
中学生の頃には自然とこれを仕事にしたいと思っていました。
高校を卒業後、専門学校でミュージカルの基礎を学び、仲間との縁があり現在の劇団に入団しました。
練習することも大事ですが、舞台に立って得ることの方が多く、
どんな役であっても舞台に出たい、経験をしたいという気持ちで努力しています。
しかし、頑張っている時に「困難」は必ず訪れます。
努力が実り出演できる役をもらい、これからだという時に、
怪我を負ってしまい1年間舞台に立てませんでした。
始めは辛く、気持ちばかり焦る日々が続きましたが、恩師に頂いた手紙を機に変化したのです。
これは自分に与えられた時間、必要な時間なんだと思えるようになったのです。
落ち着ける時間を持ったことで、プロとしての自分自身を見つめることや、
身体のケアをすることの必要性に気づくことが出来ました。
そして、どんな時でもやらなきゃいけないことはやる。
今の自分が出来る「Best」を忘れないことを学びました。
女優をしていてよかったことは、
全国各地で公演する機会があり、様々な方々に出会えたことです。
そして、共に舞台を作っていく劇団のメンバーと出会えたことです。
見に来てくれるお客様がいること、一緒に舞台を作っている仲間がいること、
好きな舞台に立つ機会を与えてもらっている環境に、私は常に感謝しています。
これからの夢は、
「常に変わらない姿勢でいたい」
「常に前を向いて、新しいことに挑戦し続ける」
「幅と深みのある女性になる」
今までの経験を蓄えとして、大きすぎず、小さすぎない自信は常に持ちつつ、
より練習し、努力し、決して満足はせず、前向きに進んでいきたいです。
そして、自身の中で様々な面を持っている人になりたいです。
みなさんへのアドバイスとしては、
「自分を客観的に見る、冷静な目を持つこと」
「失敗を恐れず、常に挑戦していくこと」
「礼儀と感謝は忘れないでほしい」
特に「礼儀と感謝」は、舞台の世界に関わらずどの業界にも共通して必要なことだと思います。
今回のお話を聞き、歌納さんは「舞台に立ちたい!」という目標がはっきりしているので、
それに繋がる自主的なレッスンを苦に感じないのだと思いました。
私たちも、仕事で必要なスキルを養うための資格勉強を辛いと感じたり、先を見失いそうになることがありますが、
しっかり目標を持って、決して現状に満足することなく、着実に前に進んでいきたいと思いました。
第四回
講師:画家
鰐渕優子さん
【プロフィール】
- 1998年
- 多摩美術大学絵画部版画科卒業
- 1998年
- 株式会社銀座テーラー入社
- 2002年
- 作品制作に没頭するため退社
【活動歴】
- 1996年
- 東京都銀座 銀座ギャラリー和知にて個展
- 1997年
- 第4回さっぽろビエンナーレ入選
- 1998年
- 東京都銀座 銀座ギャラリー和知にて個展
- 1998年
- 第1回池田満寿夫記念芸術賞入選
- 1998年
-
Festivaul International al arlelor gtafice
cluj-napoca(スペイン)入選 - 2006年
- 代官山未来画廊にてグループ展(集う)
- 2007年
-
東京都銀座 銀座テーラーStudioにて個展
株式会社渡辺プロモーション ワタナベボクシングジムのデザイン企画を担当する
両親の影響もあり、小さい頃から漠然と画家を志そうと思っていました。
ただ、本格的に画家を目指そうと思ったのは高校三年の時です。
自分が生きている中で、これをやってよかったという仕事を探していたのが、18歳の時でした。
この時、本格的に画家になろうと決意をしたのですが、周りには画家になろうという人は一人もいなかったので、
本格的に画家へなるためには、学校に入り勉強するしかないと思いました。
高校卒業後は青山学院大学に入学しましたが、絵の勉強をしたいという思いが日増しに強くなり、
周りの反対を押し切って本格的に絵画を学べる、多摩美術大学絵画部版画科に入学しなおしました。
(美大に入学しなければ、こんなに絵を好きにはなりませんでしたね(笑))
美術学校での生活を通して沢山の仲間ができましたが、本格的に画家で食べていけるのか不安になったのも、この時期です。
画家には波がありますし、自立するのが厳しい世界です。どのように活躍していくかが課題でした。
そのように、毎日悩んだり、挫折する人を何人もみていくうちに、
自分は挫折するわけにはいかないと、在学中に強く決意することができました。
【理想と現実】
画家になる決意はできましたが、現実には5年後、10年後に
お金持ちになっているという理想は描けませんでした(笑)
【画家としてのスタイル】
基本的には自分のスタイルを通していきますが、
人から自分の作品がどう思われているのかということも、
少しずつ取り入れるようにしています。
誰に対しても深い愛情で日々を過ごし、それを実践して生きていきたいんです。
【制作】
1つのことに集中し、想いを込めることが必要。
多くの失敗や挫折を積み重ね、乗り越えた先に成功があります。
今までの活動を通して、私は常にこう思っています。
”たくさんの経験こそが、1つの成功を生む”
”一生懸命やるということは、自分が好きなことをすることなんだ”
【未来に向けて】
これからは市場に貢献できる画家を目指します!
自分の為にという制作も大切だけど、
人に求められて表現することも大切。
常に、外に向かって扉を開けておくということです。
みなさんへのアドバイスとしては、
私も失敗を恐れ、自分がやりたいものを表現できないことがありました。
失敗を怖がるのではなく、繰り返し繰り返し経験することにより、
失敗の手前で手が打てるようになります。
そうすることによって、失敗が怖くなくなるんです。
その経験によって、私は失敗の怖さを乗り越えることができました。
みなさんも失敗を怖がらずにチャレンジしてください。
最後に私が大切にしている言葉を贈ります。
~大切なことば~
心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。
これがもっとも大切な第一の掟である。
第二の掟もこれと同じように大切である。自分を愛るようにあなたの隣人を愛せよ。
(聖書マタイ福音書22章37節より)
今回のお話を聞き、鰐渕さんは「経験(失敗)を宝物にしている」と強く感じました。
そして、いろいろ経験をすることによって、
自信があるから絵を描くのではなく、自信をつけるために日々挑戦し続けているんだと
私たちに教えてくれている気がしました。
私たちも日々新しい開発に取り組んでいます。
経験したことがない場合、失敗を恐れて逃げ腰になってしまう時がありますが、
失敗を恐れて逃げてしまうのではなく、
どんな開発を任されても、自分には大丈夫だという自信と勇気を持つために、
日々経験を積んで前に進んでいこうと思いました。
個展が2009年10月に開催されました。
サンメディアはアーティストを応援します!!
第五回
講師:ライフプランナー
【活動歴】
- 〜2005年
- シェラトングランデトーキョーベイホテル勤務
- 2008年
- Prudential生命保険株式会社入社 ライフプランナーとして活躍
前職はシェラトングランデトーキョーベイホテルでフロント業務をしていました。
英語の学校に行っていたときにはCAを専攻していましたが、
クラスの雰囲気が自分に合っていないと感じていました。
卒業する時には韓国の航空会社に内定をもらっていましたが、
CAには興味が湧かなかったので、航空会社には就職しなかったんです。
【学生時代】
学生の時はおこずかいをもらったことがなく、親に隠れてアルバイトをしている時もありました。
居酒屋でアルバイトをしたのですが、その時に接客の楽しさに目覚めたんです!
そして就職先にはホテルを選びました。
理由は、
①小さな子供が好き
②想い出を残すというスペシャルな場所で働きたかった
という事が大きいです。
【人の思い出に名前を残したい】
私の目標は、人の思い出の中に自分の名前を残したいんです。
世界に名前を残すという大きなことよりも、
いま目の前で私を頼りにしてくれる人の思い出に残りたいという気持ちが強いですね。
それは今でも変わりません。
ホテル時代には、そんな頑張りが認められて、表彰されたこともありました。
お客様とのやり取りでもたくさんの笑いがあり、職場では毎日笑顔が絶えない生活をしていました。
そんなこともあり、職場では毎日笑顔が絶えない生活をしていました。
毎日楽しかったのですが、将来を考えた時に、
いまの仕事を続けていくと、ホテルのパートか、スーパーのアルバイトしかないな・・・って思ったんです。
【動くか動かないかの選択】
そんな時に今の会社から内定を受けました。
でも、閉じた世界にいましたから、今の会社を紹介された時も、
新しい人に会って話しを聞くなんて想像も出来なかったんです。
それまで自分から動くなんて考えられなかったんですが、
「自分から動かないと何も変わらない!」って思ったんです。
そう思ったときに自分に兆し、そう光が見えてきたんです。
人生は2者択一、動くか動かないか。
動かないと何も始まらないって強く思いました。
今の会社はやったことが認められる会社。
そして結婚しても続けられるし、ルールも決められる。
いい会社に入社できたと思っています。
みなさん「幸」っていう漢字を知っていますよね。
私が今の会社で大切にしていることは、人偏を足した「倖」です。
私の中では人との繋がりが大切なんです。
この仕事では契約が取れたから終わりではないんです。
保険金を届けるまでが仕事だと思っています。
お客様の一生のライフプランを考え、
自分のスキルを全て使って安心を提供したいんです。
【目指すはニート(笑)】
今後の夢はニートになることです。
ただし、引篭もりではないですよ(笑)
自分の好きなことをやっていたいんです。
将来は、「人の思い出に残るホテル」を経営したいですね。
そこで働くスタッフに大切にして欲しいことは「躾」。
「お」をつけたらダメですよ。
それでは「おしつけ」になってしまいますから(笑)
10室だけの小さなホテル。
泊まった人には大きな想い出に残るホテル。
・・・結婚式や記念日など、一生の思い出になる場所。
そんな理想のホテルをつくります。
みなさん、自分の夢にコミットするって大切ですよ。
そうすれば必ず夢は叶います。
うーん、ちょっと違いますね。
「夢」は想像するもの。叶わないもの。
だから私は「Dream(叶えるもの)」を目指します!!
皆さんも自分のドリームを掴み取りましょう。
ちなみに、いまの私の座右の銘は、「有言即行」です。
【パーティーでのアドバイス】
最後に、ホテルで働いた経験や、いま人との繋がりを大切にしている経験から、
みなさんに、こっそりパーティーでの人脈作りをアドバイスします。
それは、幹事に付いていること。
初対面って緊張しますよね。
それに、相手の素性も知れないのでリスクが一杯です。
そんな時に、幹事についていると、安心できる人を紹介してもらえます。
そして自分のことも相手に紹介してもらえて、一石二鳥なんです。
今回、お話を聞いて「人との繋がりが大切」だという事を学びました。 そして、自分から行動しなくては何事も始まらないという事も。
人と出会う事によって様々な事を吸収できます。
人との出会いはとても大切なものだと思いました。
多くの方と出会うことによって、色々と刺激を受け、
自分の人生に責任を持って目標に向かって生活すること。
そうすれば夢は「Dream」になるんだと教えていただきました。
理想のホテルが完成した時には、またお話を聞かせてください。
スタッフ一同、皆さまの「Dream」を応援しています!!
第六回
講師:音楽家
中川 つよしさん
【プロフィール】
音楽家専門:リコーダー/古楽器演奏、音楽学研究、音楽療法
ロンドン市立ギルドホール音楽院古楽科に留学。
和光大学人文学部卒業。
成城大学大学院修士課程(美学・音楽学専攻)修了。
中世・ルネサンス・バロック音楽の専門家としてコンサート活動を展開。
また、大学や生涯学習センターなどで音楽史の講義を担当する他、
音楽療法の分野でも活躍する。
現在、和光大学非常勤講師、国立精神・神経医療研究センター音楽講師。
その他、和光大学生涯学習センターぱいでいあ、
NHK文化センターさいたまアリーナ教室、宮地楽器音楽教室などで講師を務める。
リコーダーのレッスンは子供から大人まで幅広く行なっている。
【クラシック音楽に興味を持ったきっかけ】
小学生の時に、父親が買ってくれたモーツァルトの交響曲40番のレコードを聴き、衝撃を受けました。
その後、さまざまなクラシック音楽を聴きあさり、名曲解説辞典などを読みました。
【リコーダーに興味を持ったきっかけ】
私立明星学園高校入学時にフルートを始めました。
しかし一年後、フランス・ブリュッヘンのリコーダー演奏を聴き、第2の衝撃を受けました。
以来、リコーダーに専念し、そのレパートリーの大半を占めるバッハ以前の音楽について勉強を始めました。
高校時代はリコーダーアンサンブルを友人たちと始め、放課後は練習三昧でした。
ちなみにリコーダーとは、古くには鳥に歌を覚えさせる道具という意味だそうです。
【喫茶店の店長】
某音楽大学を受験するも、聴音・ソルフェージュといった副科科目が災いして、日本での進学を断念しました。
それ以来「音感教育」に重点を置いた日本の音大のシステム(コンセルヴァトワール・システム)に深い懐疑を持ちます。
ちょうどその頃、吉祥寺の名曲喫茶「バロック」でアルバイトをし、3万枚ともいわれた所蔵レコードを片っ端から聴きました。
その後、父親が開店した喫茶店「らいむぎ畑」の店長を務めました。
喫茶店の店長をしながらも、音楽の勉強を続けました。
そして、大竹尚之氏に師事し、プロのリコーダー奏者としての活動を始めます。
【留学】
32歳の時に、イギリスのロンドン市立ギルドホール音楽院古楽科に留学し、フィリップ・ピケット、パメラ・トービーの両氏に師事しました。
ピケット氏の影響で、リコーダー演奏の技術・知識のみならず、ヨーロッパ文化・芸術の、より根源的な諸問題に興味を持ち始めます。
【大学・大学院】
約2年の留学の後、和光大学人文学部に入学し、西洋美術史を専攻しました。
図像学を中心に、美学、哲学など様々な学問を学びました。
その後、成城大学大学院修士課程(美学・音楽学専攻)に進学しました。
今日は図像学についてもお話して下さいました。
図像学とは絵画から意味を読み取る学問のことです。
私は、西洋音楽が伝統的に持っている「言語的性格」にも興味があります。
まだテレビやパソコンのない時代には、絵画や音楽はメディアとしての機能を担っていました。
鳴り響きの向こう側にある「意味」を読み取ることは、とても面白いです。
何枚か絵画を見ながら説明して頂きましたが、絵には様々な意味が込められていて一枚一枚がとても印象的でした。
【現在】
大学院修了後、本格的にコンサート活動、大学と生涯学習センターでの講義、音楽療法などを開始し、現在に至ります。
講義は、西洋音楽史の講義を行っていて、美術史、文化史、思想史などと関連づけて、新しい音楽鑑賞の形を模索・提言しています。
音楽療法は、精神疾患をもつ患者さんを対象とした音楽プログラムを、作業療法の一環として実践しています。
コンサート活動では、コンサート会場だけでなく銭湯でのコンサートも行っています。
銭湯だと50人くらいの方が入れるくらいの広さで丁度よく、音の響きがいいそうです。
今後もコンサートホール以外の様々な会場で、積極的にコンサートを行なっていきたいとおっしゃっていました。
【仕事を続けていく上でのポイント】
①レールの上での競争は大変!
諦めさえしなければ、どんなルートを通っても、必ず納得のいく結果が得られるはず。
②何かひとつ得意なものを見つける。
例えば語学。私の場合はリコーダーでした。
③いろいろな事に興味を持つこと。
私の恩師、前田耕作氏(アフガニスタン文化研究所所長、和光大学名誉教授)の言葉で、
「この道一筋とは、すなわち知性の欠如だ!」とあります。
これが私の座右の銘です。
いろいろな興味は網の目のようにつながり、きっと自分を助けてくれます。
今日は丈の長さが異なる様々なリコーダーを用意して頂きました。
丈が長くなるほど音が低くなるそうです。
他にも、「イギリスのナイチンゲール」という曲の演奏を披露して下さいました。
鳥の鳴き声をイメージした曲で、とても素敵な演奏でした。
中川さんのお話を聞いて、いろいろな事に興味を持つことは大事なことだと思いました。
仕事も大事ですが、中川さんの座右の銘にあるように仕事のことだけでなく様々なことに目を向けていきたいです。
初めての生のリコーダー演奏に触れることが出来、春の鳥のさえずりを感じることができた一日となりました・・・。
第七回
講師:映像作家、映像クリエーター
横田 将士さん
【プロフィール】
2008年
東京造形大学卒業在学中に発表した「いくえみの残像」、「記憶全景」が様々な
コンペティションで受賞を重ね、卒業を機に映像作家として活動を開始
【受賞歴】
- 第12回
- 文化庁メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品
- 第14回
- 学生CGコンテスト最優秀賞
- アミューズアートジャム2007森本千絵賞
- 第31回
-
東京ビデオフェスティバル優秀作品賞
他多数
【仕事歴】
シャキーン!NHKEテレコーナー映像
ネオコラ東京環境会議2フジテレビブリッジ制作
勤労女子ドキュメントカンテツな女NHK総合OP・ED映像
ゆずアリーナツアーステージ映像
少年倶楽部PREMIUMNHKBS2OP・ED映像
ベビスマフジテレビブリッジ制作・出演
テクネ映像の教室NHKEテレ作品制作・出演 他多数
【学生時代】
元々は大阪の大学に在学中に、ドキュメンタリーや映画を撮っていましたが、
頭の中のイメージが映像に出来ず、モヤモヤとした時期が続いていたそうです。
東京造形大学に編入し、代表作の一つでもある「いくえみの残像」や「記憶全景」が
誕生しました。
横田さんの作品の特徴といえば、一枚一枚の写真を積み上げて映像にする
珍しい手法です。
「いくえみの残像」は、横田さんの作風が誕生したきっかけになります。
【森本千絵氏との出会い】
映像作家として知名度をあげるため、積極的に行動して自分の作品をアピールしていた
そうです。
森本氏から直接「一緒に仕事をしよう」と連絡があり、以降多くの作品を発表しています。
横田さんが現在も映像作家として仕事ができているのは、この時の出会いと行動がきっかけです。
【映像作家としての活動】
現在は、テレビ番組のOP・ED、コーナー映像やライブのステージ映像等様々なジャンルで活動されています。
また、個人の活動に留まらず、複数人で共同製作を行う等、幅広く活動されています。
仕事の依頼を受ける中で、クライアントと意見が合わず、悔しい思いをされたこともあるそうです。
その分、大勢の方に見てもらったり、自分の作品が本やDVD等に形として残すことが
できた時の感動も大きいと話してくださいました。
【座談会を終えて】
横田さんの1つ1つの作品に、また作品の1秒1秒に込める熱い想いが伝わりました。
1つの作品を作り上げていく中、クライアントの意思だけなく、作品をより良くするために如何に提案していくかと言うことも非常に勉強になりました。
そして諦めないことの大切さやチャンスは待ってるだけではなく、自分で掴んでいくものだと強く感じました。
仕事内容は違いますが、同じ「作り上げる」仕事として、共感できることが数多くありました。
チームワークや役割分担、アピールの仕方等、仕事に活かして行きたいと思います。